大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和34年(ネ)372号 判決 1963年4月05日

判   決

宝塚市雀ケ丘二番地の一五六

控訴人

正司博美

ほか一一名

右一二名訴訟代理人弁護士

小玉治行

増永忍

橋本敦

右正司訴訟代理人弁護士

佐藤三郎

松尾晋一

花房節男

東京都芝田村町一丁目八番地

被控訴人

日本中央競馬会

右代表者理事長

石坂弘

右訴訟代理人弁護士

熊谷直三

寺坂銀之輔

右訴訟代理人弁護士

寺坂吉郎

被控訴人

右代表者法務大臣

中垣国男

右指定代理人

鰍沢健三

武智敏夫

主文

控訴人田淵礼三の控訴、ならびに、当審における被控訴人国に対する請求を、いずれも却下する。

控訴人田淵礼三を険くその余の控訴人等の控訴、ならびに、当審における被控訴人に対する請求を、いずれも棄却する。

控訴費用及び拡張請求に関する訴訟費用は、控訴人等の負担とする。

事実

控訴人等代理人は、「原判決を取消す。被控訴人等は、控訴人等に対し、別紙目録(原判決末尾添付の目録を引用する。)記載の土地が、各控訴人等の所有であることを確認し(被控訴人国に対する確認請求を当審において拡張)、かつ、同目録記載の所有権移転登記抹消手続をせよ。訴訟費用は一、二審共被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人等代理人は、「本件控訴(被控訴人国は更に当審における拡張請求)を棄却する。控訴費用は控訴人等の負担とする。」との判決を求めた。(以下省略)

理由

第一、控訴人田淵礼三の控訴について。

本件訴状に原告として田淵和三郎と表示されていたが、原審において、同原告の訴訟代理人が、これを和三郎こと田淵礼三と訂正したい旨申立てたところ、原審が、田淵和三郎と田淵礼三は親子関係にあるところの実在せる別人格であることを理由とし、右訂正申立は実質上当事者の変更に該当し許されないとして、(当裁判所も右判断が正当であると認める。)田淵和三郎に対して判決していることは、原判決によつて明かである。してみると控訴人田淵礼三の本件控訴は、自己に対する判決がなされていないのにかかわらず、これあるものとしてなされた不適法な控訴であることが明かであるから、右控訴は却下を免がれない。

又同控訴人の、当審における被控訴人国に対する拡張請求についても、右請求が、田淵和三郎の原審における請求が同控訴人の請求であると認められることを前提とし、これを拡張するものであることが明かであるから、かかる拡張請求が不適法として却下さるべきであることも多言を要しない。

第二、控訴人田淵を険くその余の控訴人等の請求について(以下控訴人等というときは、すべて控訴人田淵を除いたその余の控訴人等をいう。)。

一、控訴人村西さとが、一審原告村西芳介(昭和三一年一〇月一一日死亡)の共同相続人の一人であることは、控訴状に添付した戸籍謄本写によつて認められ、控訴人善塔鈴子、同善塔和子及び同小川雍子が亡善塔又治郎の共同相続人であること、訴外日本競馬会が、控訴人等主張の原判決末尾添付物件目録記載の、控訴人等(若しくはその先代)所有の土地について、同目録記載の所有権移転登記をしたこと、昭和二三年七月新競馬法の施行に伴い、被控訴人国が、訴外日本競馬会の有する右本件土地を含む一切の資産及び負債を承継し、ついで、同二九年九月日本中央競馬会法施行により、被控訴人日本中央競馬会が、被控訴人国の有する本件土地を含む国営競馬特別会計に属する一切の物件の所有権を承継したことは――右各承継が特定承継であるか包括承継であるかの点はしばらく措き――いずれも当事者間に争いがない。

二、よつて、先ず、控訴人等(若しくはその先代)と訴外日本競馬会との間に、本件土地について売買契約が成立したかどうかについて考えてみるに、成立に争いのない甲第三号証の一と本件弁論の全趣旨、殊に、控訴人等代理人が、原審において、昭和三三年二月六日附準備書面第二項で主張した。本件土地の売買契約が成立していない趣旨(本件売渡承諾書が存することを利用して、実態にそぐわない虚構の契約書を作成したもので、右契約書は無権限者による無効のものであると記載されているが、契約不存在の趣旨が含まれていると解せられる。)の主張を、同日の口頭弁論において陳述しながら、裁判官の釈明によつて直ちに右主張を撤回し、以来控訴提起に至るまで本件売買契約が存在していることを前提として弁論がなされてきた訴訟の経過に、当審における控訴人正司本人尋問の結果(第一回)によつて認められる、本件土地が競馬場に使用されているなら控訴人等としてもなんらの不服がなかつたという事実を考え合わせると、三項においても判断する通り、本件売買契約が、昭和一八年六月四日から同年一二月下旬頃までの間に成立していたと認むべきことが明かであつて、右認定を覆えすに足る的確な証拠がない。

三、(一)控訴人等(若しくはその先代)と訴外日本競馬会との間の、本件土地売買契約成立の日時、ならびに、その経過。

(証拠―省略)に、弁論の全趣旨、ならびに、当事者間に争いのない訴外日本競馬会に本件土地所有権移転登記がなされた日を考え合わせると、被控訴人等主張の通り、昭和一七年暮頃、訴外日本競馬会所有の鳴尾競馬場敷地を、海軍の要望により訴外川西航空機株式会社の試験飛行場用地として譲渡することになつたところ、右競馬場敷地に代るべき土地の取得について、これを海軍において右訴外日本競馬会のために斡旋することになり、海軍は右斡旋事務一切を海軍経理局第五課員たる海軍主計中佐辰己繁に担当させたので、同中佐が部下である訴外鎌野技手をして同一八年四月下旬から五月上旬にかけて、訴外日本競馬会から買受斡旋方申入れのあつた本件土地を含む良元村所在三一万余坪について、被控訴人等主張の通り売買の慣行、価額等を調査させ、一応買受価額を算出したが、訴外日本競馬会においても更に実情を調査した結果、海軍側の出した価額より二、三割方上廻つた買受希望価額を算出したこと、同年五月下旬、同中佐の指示により、海軍経理局名をもつて、控訴人等地主に対し、「土地買収に関する件通知」と題する書面を発送したが、同書面には「海軍緊急施設に関連し、武庫郡良元村地内貴殿所有土地買収致度候条、実印携帯の上、昭和一八年六月四日午後一時に鳴尾競馬場事務所に出頭相成度」等の趣旨の文言が記載されていたこと、右指定当日、右競馬場事務所に関係地主二百数十名の内、本人若しくはその代理人百数十名(この中に控訴人正司が居たことは認められるが、その余の控訴人等が居たかどうか確認し難い)が参集したので、先ず亀井鳴尾競馬場長の挨拶と、山口農林省馬政局総務部長の農林省としての立場からする、前示土地を譲渡してほしい旨の説明がなされ、ついで、辰己中佐が、売買斡旋者たる海軍の立場から、当時の戦況を述べた後前示の通り鳴尾競馬場の敷地が訴外川西航空機株式会社の試験飛行場用地として譲渡されることになつたが、軍馬の生産、改良等のためには競馬場を存置することも必要であるゆえんを説明し、鳴尾競馬場の代替地とするために、本件土地を含む前示三一万余坪の土地を訴外日本競馬会に対し、右会場に掲示した字別、土地地目別の価額をもつて譲渡してやつてほしい旨要望し、かつ、これを承諾した者は会場に用意している売渡承諾書(売買契約書ではなく、売買契約を締結することを承諾し、競馬会において必要とするときは直ちに土地を使用しても異議がない旨記載したもの)に押印されたいと述べたこと、これに対し、出席者の大半は即時右承諾書に捺印したが、控訴人村西の先代村西芳介(不出頭)と土地を共有していた訴外巽彝正等少数の者は売渡価額に強い不満を抱いたため、又一部の者は印鑑を所持しないとか、帰宅して家族と相談したいとかの理由で、右書面に捺印しないまま、或は右説明会の途中において、或は説明会終了後帰宅したこと、その後、亀井鳴尾競馬場事務長が、右説明会に欠席した地主に対しては、前示のように鳴尾競馬場代替地の必要性と、その為に地主所有地を買受けたい旨記載した書面、及び、売渡契約作成のため委任状を郵送して捺印の上返送されたい旨申送つたところ、これを受領した地主の大半は委任状二通に捺印して返送してきたが、村西芳介、巽彝正、及び、控訴人山田三名等少数の者が返送してこなかつたので、亀井競馬場事務長がこれらの者を直接訪問して交渉し(控訴人山田三名については、その代理人有地弁護士と交渉し)前示説明会場に掲示していた買受価額より、補償費、離作料等の名目をもつて相当増額した価額をもつて買受けることとした結果、同年一二月下旬頃に至り、控訴人山田三名を最後として、すべての地主から売渡の承諾を得たので、その間委任状その他登記に必要な書類がととのつた地主の所有地から、良元村在住の地主については同村々長を地主の代理人とし、又同村に在住しない地主については野村銀行尼崎支店長を地主の代理人として、順次売買契約書、所有権移転登記手続申請書を作成した上、右登記手続を完了し、従つて、控訴人等(若しくはその先代)所有の本件土地についても、同年六月四日から同年一二月末日までの間に売買契約が成立し、その旨(但し、登記原因としては、すべて同年六月四日に売買契約が成立したものとして)の所有権移転登記手続がなされたことがそれぞれ認められ、(中略)他に右認定を覆えすに足る的確な証拠がない。

仮に、良元村々長、野村銀行尼崎支店長、有地弁護士等に、控訴人等(若しくはその先代)を代理して本件契約を締結し、本件登記手続をする権限がなかつたとしても、控訴人等(若しくはその先代)において、同一九年初頃までの間に、訴外日本競馬会が支払つた本件土地の代金等を異議なく受領していることは、弁論の全趣旨によつて明かであるから、これにより右村長等のした無権代理行為を追認したものといわねばならない。

(二)  控訴人等は、控訴人等(若しくはその先代)が本件売渡承諾書に捺印したのは、抗拒し得ざる強度の強迫の下に、完全に自由意思が抑圧され、自由なる意思を表明することを期待し得ない状況の下にしたのであるから、これによつて成立した本件契約は強迫による取消をなすまでもなく当然無効であると主張するので考えてみる。

(1) 本件契約成立当時におけるわが国の情勢が、対外的には、昭和一六年一二月に開始された太平洋戦争が、同一七年末を境として戦局漸くわれに不利となり、同一八年に入るやガダルカナルの周辺における苦戦、アツツ島守備隊の全滅、山本連合艦隊司令官の戦死等の事態が相次いで起り、戦局の前途は逆賭し難い様相を呈し、国内においては、国民総力決戦体制の確立が叫ばれ、必勝完戦議会と呼ばれた第八二臨時議会において、「米英撃滅一億敢斗決議」が満場一致で議決される等、超非常時体制の確立が着々と進められていたことは当事者間に争いがなく、右の様な情勢下にあつて、軍部の行政及び社会一般に対する発言が異常なまでに重きを加え、往々にして軍事行政上の権限として容認される本来の権限の範囲を超え、しかもそれが絶対的なものとして国民各層に意識されがちであつたが、又一面においては、前示決議がなされたことによつても窺われるように、大多数の国民が、不利な戦局を挽回して戦争を勝利に導かんがために、積極的に政府特に軍の施策に協力し、身命をも捧げて悔いがないという意気に燃え、右施策に協力しない者があればその者は非国民と呼ばれ、かく呼ばれることを無上の恥と考える一般的な風潮にあつたことは、当裁判所に顕著であるところ、(証拠―省略)を綜合すると、本件契約成立当時、前示川西航空機株式会社宝塚工場用地の買収に際し、地元民田中九右エ門外数名が買収妨害のかどにより憲兵隊に留置されたとか、同会社鳴尾工場拡張用地の買収に際し、該当地主等が鳴尾村役場階上に集められて売渡を強要され、これを承諾しないで帰宅しようとした者が警察官に措止されて無理に売渡を承諾させられたというような噂が、武庫郡良元村附近に流布されていたことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠がない。控訴人等は、右のような噂のほかに、本件契約締結直前たる同一八年五月三日、旧深江村所在の前示会社甲南工場敷地を海軍が買収するにあたり、これに異議を唱えた磯野万治郎親子が神戸憲兵隊に留置され虐殺された噂が流布されていたと主張し、前掲証拠を綜合すると、右のような噂も流布されたことが認められるけれども、原審証人(省略)の証言によると、右噂が流布されたのは本件契約締結時よりも後であつて、本件契約締結時にはそのような噂が流布されていなかつたことが認められ、右認定を覆えすに足る的確な証拠がない。

(2) 右認定のような状況下にあつた控訴人(若しくはその先代)に対し、前示同一八年六月四日の説明会に参集を求めた上、即日若しくはその後約六ケ月余の期間内に締結した本件契約が控訴人等主張のような強度の意思抑圧によつてなされたかどうかについて考えてみるに、原審ならびに当審証人(省略)の証言によると、海軍中佐辰己繁が控訴人等に対し前示のような説明会へ参集すべき旨の通知状を発したのは、海軍が訴外日本競馬会所有の鳴尾競馬場の敷地を試験飛行場として買収するにあたり、右敷地の代替地を同訴外競馬会が買受けるにつき、これが斡旋の労をとる旨約したところから、この斡旋を急速かつ円滑に行うためには、海軍経理局名をもつて各地主を召集することが効果的であると考えたからであることが認められ、従つて、右通知状の発送は、(1)において判示した当時の軍に対する国民の一般感情ないし風潮を利用した点、及び、右通知状の内容が、受領者たる地主をして海軍が買収するのであると誤信させるようなものであつた点において、穏当を欠き好ましくないことであつたといわねばならないけれども、(証拠―省略)を考え合わせると、本件説明会場の設営は訴外日本競馬会がこれを行い、当日会場の内外には警察官は勿論憲兵も居らず、出席地主百数十名に対し、三、(一)において判示した通り挨拶、説明要望がなされたが、その雰囲気は極めて平穏で、会場への出入も自由になされ、決して控訴人等を強迫し若しくは威圧するような雰囲気ではなかつたこと、辰己海軍中佐の説明によつて、当初海軍によつて買収されるものと思つていた地主等は、自己の所有地が、海軍の要求により川崎航空機株式会社の試験飛行場敷地として売渡された鳴尾競馬場の敷地の代替地として、訴外日本競馬会に買取られようとしているものであることを了解するとともに、その所有地を訴外競馬会に売渡すことが間接的に戦力の増強、維持に貢献することになり、延いては戦争完遂の一翼を担う結果になることに思いをいたした結果、大半の地主(控訴人正司を含む)は、買収価額の点には不満があつたけれども、この不満を抑えて売渡すことも止むを得ないとして、即時会場に用意された売渡承諾書に捺印したが、村西芳介や巽彝正等少数の者は前示の通り捺印せずに帰宅したことが認められ、又当日出頭しなかつた地主及び捺印せずに帰宅した地主等に対しては、或いは前示買収の必要性等を記載した書面を郵送し、或いは亀井鳴尾競馬場事務長が直接訪問し、前示の通り実質的に買収価額を増額する等して努力した結果、右即時捺印者と同様の承諾を得たことが窺われるところであつて、(中略)他に右認定を覆えすに足る的確な証拠がない。もつとも、右証人(省略)の証言によると、本件土地の一部を共有していた西村芳介と巽彝正が、前示説明会が開かれた日から一、二ケ月後、大阪中之島にあつた海軍経理局に呼び出され、海軍将校から右共有地を訴外日本競馬会に売渡すよう強く要求された事実が認められるけれども、右両名がこれによつて意思の自由を全く抑圧されたと認むべき確証がない。却つて(証拠―省略)を考え合わせると、右両名がその際売渡しを承諾させられたのではなく、その後、補償料の名目で買収価額の値上げ交渉がなされた後、同年一二月中頃売買契約を締結されたことが窺知されるところであるから、これをもつて前示認定を左右するに足りない。

以上認定の事実によれば、本件契約が控訴人等(若しくはその先代)において海軍の強迫により全く自由意思を抑圧された結果締結されたといえないことが明かであるから、控訴人等の右主張は理由がない。

(三) 控訴人等は本件契約は、控訴人(若しくはその先代)において契約の要素に錯誤があつたから無効であると主張するので考えてみるに、およそ法律行為の要素に錯誤ありというためには、その行為の内容となつた重要事項について、その行為のときにおいて認識を誤つたこと、例えば、行為当時実在しない事項を実在すると誤信し、若しくは、実在する事実を実在しないものと誤信したような場合でなければならないところ、本件契約成立当時、訴外日本競馬会は、本件土地を含む約三一万坪の買収地を鳴尾競馬場にかわる競馬場として使用する意思ないし計画を有しており、同一八年一〇月頃から買収土地に立入つて測量し、同二〇年頃までの間に舎、事務所、調教馬場、水源地、水道施設、馬治療所等、競馬場として必要な諸施設の約三分の二を設置していたことは、(証拠―省略)と弁論の全趣旨によつて認められるところであるから、本件契約が控訴人等(若しくはその先代)においてその要素に錯誤があつたといえないことはいうまでもない。

(四) 控訴人等は、本件契約には将来本件土地を競馬場として使用しなくなれば旧地主に返還する特約があつたと主張し、昭和一八年一二月一七日の閣議によつて、同一九年以降本件買収地を使用して行う競馬が停止されたことは当事者間に争いがなく、その後同三〇年一二月頃、本件買収土地が訴外京阪神競馬株式会社の所有地(現在の阪神競馬場)と交換されたことは弁論の全趣旨によつて認められるところ、本件契約に控訴人等主張のような特約が付せられていたことについては、これに副う(省略)の各証言、ならびに、当審における控訴人正司本人尋問の結果(一、二回)の各一部は、(省略)の証言に照して信用することができず、他にこれを認めるに足る的確な証拠がない。

控訴人等は、右特約が存したことの証左として、昭和三〇年一二月頃、訴外京阪神競馬株式会社に本件買収地全部が譲渡されるという情勢を契機として結成された「小林土地返還期成同盟」の同盟員たる旧地主五十余名に対し、その旧所有地約六万坪の補償として、同三一年九月末頃、宝塚市を通じて合計金六五〇万円(坪当り金一七〇円)を交付している事実があることを挙げており、右事実は被控訴人等において明かに争わないところであるけれども、右事実の存在をもつて、本件契約に控訴人主張の特約が付されていたことを確認することができないから、控訴人等の右主張は採用できない。

四、そうすると、その余の点について判断するまでもなく、控訴人等が本件土地の所有権を有することを理由としてなされた本訴請求は失当で、これを棄却した原判決は結局正当であるから、本件控訴及び当審における被控訴人国に対する拡張請求は、いずれも棄却されねばならない。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文の通り判決する。

大阪高等裁判所第七民事部

裁判長裁判官 小野田 常太郎

裁判官 下 出 義 明

裁判官亀井左取は転任のため署名押印できない。

裁判長裁判官 小野田 常太郎

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例